hirono-adarihodori

思いついたまま書いているブログです。お付き合い下さい。

樹木希林さんが逝っちゃいました。まだ早い。

何となく楽しい存在

樹木希林さんがお亡くなりました。

夕べテレビを見ていて知りましたが、びっくりしましたね。

 

亡くなったのは9月15日

2004年に乳がんが発見され、後に全身に転移。

 

ぴったしカンカンに出演した時に全身に癌(がん)が転移していると、

本人がおっしゃっていましたね。

 

シリアスなものからコメディまでこなす、特殊なカラーを持った女優でした。

 

75歳で逝っちゃいました。早すぎます・・・。

 

ご冥福をお祈りします。

 

彼女を初めて知る

テレビの「時間ですよ」は今だに時々思い出します。

堺正章だったかな。

二人のやり取りは特に面白かったですね。

 

彼女を初めて知ったのは、この頃だったような気がします。

だいぶ前なので定かではありませんが。

 

何をしでかすか分からない。

そんなイメージがあります。

 

その後、テレビの番組欄を見ていて、

樹木希林の名が載っているとほとんど見ましたね。

 

時間を割いてもみるだけの価値のある人でした。

 

こんな女優さんは滅多にいません。

 

 

芸名を売る

樹木希林の芸名の前に「結城千穂」と名乗っていましたが。

 

芸能人の持ち物をオークションにかけて最高値を付けた人に売却する。

そんな番組がありました。

 

その後、別の番組で、なぜ芸名を変えたのですかと聞かれると、

前述のオークション番組に出たんだけれど、

「私、売るものが無いので『結城千穂』の芸名を売ったの」

 

と、他人事みたいに淡々と話していましたね。

聞いていた私は軽いカルチャーショックを受けました。

 

芸能人なのに簡単に芸名を売る、

そんな人がいるんだ。

 

変わった人だなー

と感じました。

 

でも、この人なら、やりかねないという雰囲気は確かにありましたね。

 

彼女がドラマに出ると、わくわくしてきますよね。

何をするか、一挙手一投足に期待します。

 

ひょっとして台本に無いのに、

乗ってきてアドリブで演技するのでは

なんて、勝手に決め込んでいました。

 

誰が買ったんだろう。興味はありましたが調べませんでした。

その頃は今みたいに簡単にインターネットで調べる、

なんて事は出来ませんでしたね。

 

「時間ですよ」だと思いますが、

彼女が自分の部屋にある、大きな沢田研二のポスターの前で

ジュリー

と叫んで身もだえするシーンは毎回のハイライトでした。

 

 

夫のミュージシャンである内田裕也とは色々とありましたね。

だいぶ苦労をされたと思います。

 

40年も別居生活を送っていました。

でも、彼女だから内田裕也の妻が出来たのでしょうね。

結婚後波乱万丈の人生でしたね。

 

 樹木希林さんが生前言っていました。

 

人生の最期には、裕也さんが歌う「朝日のあたる家」を聴いて逝きたいという。「最期ぐらいは花を持たせてあげないと、怒るだろうと思って。歌自体がいい歌だしね」。

出典:週刊女性PRIME 9/16(日)

 

正確にお伝えする為に

週刊女性PRIMEの本文そのまま掲載させていただきます。」

有難うございます。

 

 

家族に看取られ、安らかにお亡くなりになりました。

長い間ご苦労様でした。

 

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。