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思いついたまま書いているブログです。お付き合い下さい。

清水寺は庶民がつけたあだ名で「きよみずでら」。清い水で穢れを祓う。田村麻呂が寄進した寺でした。

正式名称は「音羽山清水寺

「清水の舞台から飛び降りる」で有名な寺です。

若い頃、小・中学校の友達が京都で仏師の修行をしていましたので、

興味を持ち、彼に会うために京都へ旅立ちました。

清水寺に行きたかったのですが、祇園等で時間を費やし過ぎたので

行けませんでした。

昨日たまたま清水寺をメインとした番組を見てしまいました。

興味深く、なかなか面白かったです。

見に行ったつもりで書いてみようと思い立ちました。

良かったらお付き合いください。

 

目次

 

清水寺の始まり

778年大和国興福寺の僧「賢心=後の延鎮」が夢でお告げを見ました。

それに従い北へ向かい旅をすると音羽山に至りました。

金色の水が流れる川に至り、その源をたどって行くと

200歳の行叡という修行僧に出会う。

「私はあなたが来るのを長年待っていた」と後を託されます。

 

行叡が残した霊木で千手観音像を作ります。

それを行叡の住居に安置します。

これが清水寺の始まりです。

 

建立に先祖が関係 ?

田村麻呂の登場

780年頃田村麻呂が妻の病気平癒の為、鹿の生き血を求め音羽山に入ります。

そこで延鎮と出会います。

延鎮より殺生の罪を説かれ観音に帰依します。

観音像を祀るために自分の邸宅を本堂として寄進します。

田村麻呂は清水寺を本願として寄進したことになります。

※本願とは本来の願い、本懐という意味です。

 

田村麻呂は後に征夷代将軍となり蝦夷征伐をします。

観音のご加護で平定出来たと言われていますが、

彼が行った事は、観音の教えの殺生を戒めるとは程遠いです。

蝦夷の指導者を騙して都に招待しますが、残虐な殺し方をします。

 

上からの命令で仕方が無かった。それだけ蝦夷が強かったという事ですね。

 

何はともあれ、田村麻呂は無事に都に帰る事が出来た。

延鎮と共に本堂を大規模に改築します。

 

Wikipediaを参考にさせて頂きました。有難うございました。

 

 

確証はありませんが

私の母が「家は坂上田村麻呂の子孫だ」と言ったことがあります。

子供心に「田村麻呂って何」と思っていました。

 

家には資料があったようですが、仙台大空襲で焼失したそうです。

元々我が家は京都の出です。

真偽のほどは分かりません。

 

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音羽(おとわ)の滝

この滝は「清水の舞台」の北東にあり、

高さ4メートルほどの滝です。

清流ですね。

昔から黄金水廷命水と呼ばれてきました。

清水寺が「しみず寺」と呼ばれず「きょみず寺」と呼ばれる由縁です。

 

源流は鴨川の地下にある伏流水が、東山断層の割れ目から吹き出したものです。

音羽山に降る雨水が加わり滝として流れています。

 

清水寺にある滝とは名ばかりで

小さな屋根から細長い三つの細い水が落ちているだけです。

それぞれ御利益があるそうです。元は同じですが、

向かって左から

「学業成就」「恋愛成就」「廷命成就」の三つです。

この滝で、滝に打たれる滝業もするそうです。

楽そうですね。

 

この水が美味い 

戦国時代はあまりにひどい時代で、身の汚れを祓う為に滝ノ水で滝行をしました。

水が余りに綺麗なので「きよみず」と言われるようになりました。

美味しいそうです。

地元の人も生活用水や飲み水に利用しています。

お茶やコーヒーを飲む時に利用すると格別の味になるとか。

お土産品として売られてもいます。

 

飲んで大丈夫

素朴な疑問ですが、この水は飲んでも大丈夫なのでしょうか。

調べてみると、国や京都府から飲料水として利用可の認可が下りています。

一応飲んでも大丈夫ですね。

 

清水寺は訓読みの謎

何故、清水(きよみず)寺と呼ばれたか

基本的にお寺は音読みですよね。

例えば、東寺(とうじ)とか延暦寺(えんりゃくじ)。

地元では松島の瑞巌寺(ずいがんじ)ですが、

清水寺は珍しく訓読みできよみずでらです。

何故、清水(しみず)寺では無いのか。

 

清水寺は現代のテーマパーク

清水寺参詣曼荼羅 という仏教画があります。

こういう所ですよと紹介する絵ですが

絵の中には、茶屋巡り、宴会、お花見が書かれています。

 

これを見て「一度は死ぬまでに行ってみたい」と庶民は思います。

 

とても楽しそうな世界がある。身を清めて、楽しく遊ぶ。

極楽浄土を表している。

戦乱に疲れた民衆の心を癒してくれる世界に見えたんでしょうね。

 

馬を預けて庶民と同じと認識させる

昔は馬で訪れた身分の高い人も、馬から降りて歩いてお参りする様に

定められておりました。

偉い人も馬を降りて庶民と同じに歩く。

普段の生活とは違うと意識させるお寺でした。

 

仁王門

ここからは悪い奴は入れない。

悪霊や穢れを持つものはここから中にはいれない。

と、睨みを利かせる仁王がいる門です。

 

西門(さいもん)

西門の中に入ると、お茶が出ます。

※普段は開放されていません。

 

眺めると京が一望できる絶景の場所です。

目の前に陽が沈む、西方極楽浄土、正門が極楽の入口に見える。

仁王門が悪いものが入ってこない様に睨みを利かせている。

そういった造りになっています。

 

背景には世の辛さがある。現世とは違う極楽浄土の地である。

見事に演出されています。

 

出会いの場があります。

女の子に声をかけて口説いても良い。

何故か分かりませんが、清水寺は公認です。

 

恋占いの石 2個ありますが、これは戦国時代からあると言われています。

占い方は

片方の石から目をつぶって、もう片方の石に向かって歩きます。

真っすぐ行ければ恋は叶う。

平衡感覚の弱い人は皆失恋してしまうんでしょうか。救済所値はあるか。

それは分かりません。

 

清水の舞台から飛び降りる

よく言いますね。本来はどういう事なんでしょうか。

深刻な悩みがあり、それを叶えるために行ったようです。

 

やり方は荒っぽいです。

舞台から後ろ向きで観音様を拝みながら飛び降ります。

落ちて息があれば願いは叶います。

怖いですねー。

 

江戸時代の浮世絵師 鈴木晴信の作品に

傘を開いて清水の舞台から飛び降りる若い女性の絵があります。

「清水舞台より飛ぶ女」がそうですが、

 

本当に飛んだのでしょうか。

元々は噂でした。

「舞台から飛び降りれば願いは叶う」という噂が飛び回ります。

それを真に受けて実行した人たちはいました。

 

成功率は85%、失敗=死亡は15%。

それだけ、悩みを持つ庶民が多かったという事ですね。

そんな事で願いが叶うはずはありません。

  

 

まとめますと

清水寺音羽の滝の水は大変綺麗です。

でも、澄み渡ったきれいな水だけでは無く、

身を清める水でないと駄目なのです。

前述した戦国時代等の酷い時代に生きた人たちは、心ならず罪を犯す人が多かった。

身の穢れを祓う水で無いと滝行をする意味がありません。

 

身分の高い人がつけたのではなく、一般の庶民が

清水寺(きよみずでら)と呼ぶようになったのです。

 

清める水のある寺=清水寺(きよみずでら)です。

 

清水寺は訓読みの謎は庶民がつけたあだ名です。

大衆の支持で清水寺(きよみずでら)となった。

 

 

ここまで読んで下さり、有難うございました。