hirono-adarihodori

思いついたまま書いているブログです。お付き合い下さい。

将門の妹が宮城に落ち延びて尼となり、一族の菩提を弔う。とても美しい女性とか。

比丘尼坂の石碑

仙台市中心部より松島方面へ向かう県道8号線沿いに、宮城野区燕沢という所がある。

左折し暫くするとSEIYUがある。それを左に見ながら直進すると、正面に坂が見える。

これが比丘尼坂である。

 

車がやっとすれ違える急な坂である。

少し昇って行くと緩やかなカーブがあるが、そこに石碑が建っています。

f:id:hiro-hitorigoto:20180814133614j:plain

比丘尼坂と刻まれている。

車でしか通った事の無い坂であるが、何の石碑か気にはなっていた。

坂の手前の空き地に車を止め見に行くことに。

 

普段は狭い割には車の往来が多く、ゆっくり調べる事は出来ない。

幸い今日はお盆期間で車はめったに通らない。

しかもカメラを持参していた。

 

大きく「比丘尼坂」と刻まれている。

 

f:id:hiro-hitorigoto:20180814134526j:plain

 

側面を見ると、何やら書かれているので読んでみる事に。

 

f:id:hiro-hitorigoto:20180814134751j:plain

 

何と平将門(たいらのまさかど)の妹に関する石碑であった。

 

石碑には

 

平将門が滅ぼされた時、その妹が相馬御所をのがれてこの地にたどり着き、

比丘尼となって庵を結び、道行く人々に甘酒を造って売ったと伝えられる。

この甘酒はのちのちまで伝わり、案内の湯豆腐や今市のおぼろ豆腐

今市足軽が内職として作った今市おこしなどと、ともに塩竃街道の名物となった。」

 

と刻まれています。

兄の野望を嘆き相馬御所に身を隠しました。

将門が殺された後。

海路を選んで逃れ、辿り着いたのは石碑の近くの小鶴という地です。

 

石碑のある坂は

伊達政宗が仙台に城や城下町を作る以前から、この坂を通って松島方面へ向かう「塩竃街道」と呼ばれていた古道です。

 

坂を上りきって、国道4号線にかかる車が1台通れる狭い橋を渡って、暫くすると岩切の今市橋に至ります。

 

すぐ側に平坦な道があるのに、なぜこの坂を含めたのかちょっと不思議ですね。

 

妹はこの地に庵を結び、一族の菩提を弔いました。

その後、茶屋を建てて道を行く人に甘酒を作り、売ったと伝えられています。

 

甘酒はご存じのごとく「飲む点滴」「飲む美容液」として評判ですよね。

旅人や野良仕事の人にとっては最高の飲み物です。

 

しかも将門の妹は大変な美人でしたので、大いに評判を呼び「比丘尼茶屋」と呼ばれる様になり、この地を「比丘尼坂」と呼ぶようになりました。

その当時、大変な塩竃街道の名物となったようです。

 

庵のある坂を塩竃街道に組み入れたのは、評判の比丘尼の顔を見たいためと、兄の将門を少しでも慰霊する為かもしれません。

 

将門の人気は坂東(関東)以北では絶大だったようです。

 

平将門の乱

935年から940年ころに起きた平将門が起こした乱です。

その背景には国の乱れがありました。特に地方では朝廷に任された国司がやりたい放題の悪政をしていました。

 

その為地方の情勢は悪化し、武力を持つ集団が多く現れます。国司武装化し、しかも、規模の小さい武装集団を吸収し大集団を形成していきます。

 

将門の祖父も上総の国の国司として赴任しますが、任期が終えても居座り続け、大武装集団を持ち、一層精力を拡大していきます。

 

将門の父が死去して、家督相続をめぐって争いが起こります。

ついに将門は祖父を殺害し、事の成り行き上国府を攻撃してしまいます。

 

元々は平家同士の内輪の争いですが、周りの武装勢力も味方に付き将門の勢力は強大になって行きます。

 

所領から産する豊富な馬で騎馬隊を組織し、戦ったと伝えられています。

 

将門は関東全域を手中に収め「新皇」を名乗ります。

初めは将門を利用しようとした朝廷も討伐に決し、凄まじい戦闘が始まります。

将門は地元の武士団と戦っている際に、飛んできた矢が額に突き刺さり闘死します。

 

この乱は武士により鎮圧されたので、武士の力が注目されるようになっていきます。

 

首塚の怨霊が有名

将門の首は京都の七条河原にさらされたが、何カ月たっても目を見開き、歯ぎしりしていたとの言い伝えがある。

首は故郷を目指して天高く飛び立っていった。

その為か、あちらこちらに首塚の伝説がある。

f:id:hiro-hitorigoto:20180814163003j:plain

特に有名なのは、日本を占領した連合軍のGHQが工事の計画を立てる際、首塚が邪魔で何度も移転しようとしたが、その都度事故が起こるので、ついに断念したとか。

若い頃に東京に転勤していましたが、聞いたことがあります。どうも実話のようです。

 

何とか、妹の名前を知りたくて検索しましたが分かりません。

何しろ1000年以上も前の事ですから・・・。

 

将門の名誉は太平洋戦争が終結して復権します。

それまでは大逆賊です。特に明治政府には嫌われたようです。

 

 

ここまで読んで下さり、有難うございます。

 

古くからある道を車で通っていると、石碑を見かけることがあります。

調べてみると意外な発見があるかも。