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思いついたまま書いているブログです。お付き合い下さい。

何とも不思議な雰囲気

西馬音内の盆踊り

秋田県羽後町に西馬音内というところがあります。

ここを訪れたのは8月のお盆の頃、友達の取材旅行に同行した時です。

 

マタギ」に会うためです。

マタギとはご存じのように猟犬を連れ、何日も山奥へ入り野生の熊やカモシカとかの大型の獣を狩猟する狩人です。

 

以前は集団で狩りをしていましたが、現在では衰退の一途というよりも、消滅するかもしれないと危惧されたプロの狩人です。

でも、昨今は後継者が出てきました。集団で組織された集落を作る程には戻らないでしょうが。

 

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熊の毛皮 可哀そうな気持ちも当然ありますね

 

友達はコピーライターで秋田県の山間に住まわれる「マタギ」の人を取材する為でした。お宅には熊の毛皮とかが飾ってあったのを覚えてます。

 

旅行のメンバーは青森ねぶた祭の記事を書いた時と同じです。

もう一人女の子がいた様な気がしますが、よく覚えていません。

と言うのも、だいぶ前の事で毎年のように旅行へ行っていましたから。

でも、どういう訳か東北の北方ばかりです。

 

西馬音内に向かいます。

取材を終え、我々の車は西馬音内に向かいます。

秋田の中央の辺りの様な気がしますが、確か台風の影響があり、

止む無くコースを変えました。

 

やっと西馬音内に着いたのは夕方でした。盆踊りは始まっています。

 

でもなんか変です。

櫓の上から流れる勇壮な囃子、異様な盆踊りの歌声が聞こえてきます。

 

「なんか変な雰囲気だなー」と思いながら町内に入ると

 

息をのみました

今まで見てきた盆踊りのイメージを覆すものでした。

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この人は女性ですね


編み笠をかぶり、衣装は他で見る様な盆踊りの定番である浴衣姿ではありません。

それに、踊っているのは女性ばかりです。

何とも言えない踊り方で、お囃子と相まって不思議な雰囲気を醸し出しています。

 

 

あっ、男もいた。

よく見ると女性ばかりではありません。男もいます。

男女とも同じ様な格好をして、顔を隠しているので初めのうちは女性だけだと思っていました。

 

亡者のような黒い頭巾、彦三頭巾といいます。

綺麗な着物を着て編み笠を深くかぶり、顔を隠して異様なテンポで踊る姿はこの世のものではないような怪しげな世界を創り出しています。

 

見ていると踊り自体は美しいと言えるかもしれません。

しかも洗練された踊りという感じはあるかも知れません。

 

西馬音内盆踊りの由来

記録されたもの全くありません。言い伝えだけです。

 

言い伝えとは

正応年間(1288~93)、鎌倉時代ですね。修行僧の源親という僧侶が、

蔵王権現(現在の西馬音内御嶽神社)を勧請(かんじょう=神仏の分霊を請じ迎える事)しました。

豊年祈願して、御嶽神社の境内で踊らせたという説があります。

 

これが、慶長6年(1601)ですから関ケ原の合戦後ですね。

西馬音内城主小野寺茂道一族が滅びます。

その後、遺臣たちが君主を偲び、旧盆の16~20日迄の5日間、

西馬音内寺町にある宝泉寺境内で行われた亡者踊りと合流しました。

そして天明年間に現在の本町通りに移り、現在まで継承されてきたと伝えられます。

 

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男かな、手のしなりかたを見ると女の様な・・・

 

先祖の霊をを送るお盆。8月16日の陽が山並に隠れ始める頃、 西馬音内の町に寄せ太鼓の囃子が鳴り初めます。

 

子供たちが着飾って、篝火(かがりび)で明るくなった本町通りで踊りを披露すると盆踊りが幕を開けます。

 

西馬音内盆踊りはおよそ700年前に始まったとされます。

昭和10年(1935)の東京で始めての公演が開かれました。

それを、きっかけにして盆踊りの形が整えられます。

 

昭和56年には西馬音内盆踊りは国の重要無形民俗文化財に指定される事になりました。

櫓の上では勇壮な囃子と野趣に満ちた歌声が奏でられ、佳境に入ると、踊りの輪も広がっていきます。

しばらくすると編み笠や彦三頭巾で顔を隠した踊りてが加わります。

篝火により艶やかな衣装が浮かび上がると、何とも言えない光景が広がります。

 

初めて絵になる盆踊りを見た

明治40年(1907)に滞在中、西馬音内盆踊りを偶然見る事になった河東碧梧桐は「初めて絵になる盆踊りを見た」と後に記しています。

河東碧梧桐とは詩人で正岡子規の弟子

 

踊りはしなやかな手振りと足運びに特徴があります。

先祖の霊たちと一体となり、豊かな実りを願う踊りです。

 

踊りが落ち着いた優雅な感じですが、お囃子はとても荒々しい感じです。

踊りには哀調が漂います。そもそも娯楽の踊りでなかった様な気がしますね。

 

現世を諦め、来世で幸せになる。

余程辛い事が原因でこの踊りが出来たのかもしれません。

 

霊と一体になって踊る・・・亡者踊りの側面を持つと言われています。

 

篝火がたかれる独特な雰囲気の中、この世のものとは思われない世界に見物客は吸い込まれていきます。

 

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江戸時代の衣装ですね 鳥追い女?

 

今回この記事を書くにあたり、正確を期すために一部「羽後町観光物産協会 西馬音内盆踊り」のHPを参考にさせて頂きました。有難うございます。

 

ただ一つ気になったのは、初めて西馬音内を訪れた際に踊り手が皆女装であるという事です。その事を地元の人に質問しました。

 

その人が言うには

「昔、ここの領主は女好きで、城下に出ると気に入った女性を無理やり城に連れて行く、そこで領民は男も女装して城主が女性を連れ去るのを防いだ」。

 

世界的によくある話ですが、私はずーっとそれを信じていました。

真偽の程は分かりません。その人は大分酔っていました。

 

本筋に戻りますね。

西馬音内の人たちは伝統を守って行きます。

大正に入ると、盛んになった西馬音内の盆踊りに対して、警察が「風俗を乱すもの」として弾圧しました。

 

当然抗議しましたが、一時は資金も集まらず衰えました。

しかし、住民は西馬音内盆踊りの復興を強く望みました。

私財を投げ出してまで復興を望む人が多数あったもようで、

数年後には、盛んになってきました。

 

西馬音内盆踊りの内容

寄せ太鼓に続いて

「ヤートーセー ヨイワナ セッチャ」 という掛け声で囃子が始まり

 

やがて、囃子の主役はふえになります。

 

地口は(地口とは掛詞の技法を用います。

後に意味のない言葉『むだ口』をつなげたもの)

 

「時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ
     日本開闢 天の岩戸も 踊りで夜が明けた
   おら家のお多福あ めったにない事 びんとで髪ゆった
       お寺さ行ぐどて そば屋さひかかって みんなに笑われた
     隣の娘さ 踊りこ教えだば ふんどし礼にもらた
         さっそく持てきて 嬶どさ見せだば 横面なぐられた」

 

甚句の歌詞

  お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し
    月は更けゆく 踊りは冴える 雲井はるかに 雁の声
      押せや押せ押せ 下関までも 押せば港が 近くなる

 

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郡上八幡盆踊り」、「阿波踊り」と並び日本三大盆踊りの一つです。

 

現在に至るまで「西馬音内盆踊り」に勝る盆踊りを見たことがありません。

私の周りもそうですが、意外と知らない人が多いです。

是非とも一度見に行ってください。見る価値があります。

 

必ず「見てよかった」と感じる事が出来ると思います。

 

最後に「西馬音内」への行程を調べましたので参考にして下さい。

【JR東京駅~西馬音内】

新幹線で行く場合(JR秋田新幹線こまちをご利用の場合)

JR東京駅=(352㎞・105分)=JR仙台駅=(259㎞・105分)=JR大曲駅=(JR奥羽本線37㎞・40分)=JR湯沢駅=(路線バス25分・タクシー15分)=羽後町西馬音内

 

空路の場合

JR東京駅=(京浜東北根岸線・快速4分)=JR浜松町=(東京モノレール・23分)=羽田空港=(徒歩・7分)=東京国際空港=(空路・60分)=秋田空港=(連絡バス・50分)=JR秋田駅=(JR奥羽本線 88㎞・80分)=JR湯沢駅(路線バス25分・タクシー15分)=羽後町西馬音内

 

※交通状況により変わる場合があります。出かける前にお調べください。

 

 

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