hirono-adarihodori

思いついたまま書いているブログです。お付き合い下さい。

重陽(ちょうよう)の節句

またの名を菊の節句

9月9日は重陽節句です。五節句の一つですが知ってますか。

菊の節句ともいわれています。

 

節句とは季節の変わり目です。夏から秋に代わるこの日を重陽節句と言います。

 

奇数は縁起の良い日と言われていますが、月と日が奇数だと縁起が悪いとなります。

9月9日は縁起の悪い日です。

 

それで、お祓いをしたり、体に良い旬の食べ物を食し、

エネルギーを得て邪気を払います。併せて長寿祈願や子孫繁栄を願います。

 

中国の陰陽思想で、平安時代に日本に伝わり宮中で行事が行われるようになりました。

 

菊の花を用いる 

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重陽節句には菊の花が用いられますが、他の花に比べて咲いている期間が長いので不老長寿にも結び付くと考えられていました。

薬草としても利用されていました。

 

菊滋童伝説

中国の古くから伝わる「菊滋童伝説」という言い伝えがあります。

古代中国の周という国で穆王(ぼくおう)という人がいました。

 

中国の最初の歴史書で司馬遷が著した「史記」によれば50歳で即位し、

在位は55年間と書かれています。105歳まで王を務めた。信じられます?

紀元前985~940年の人物です。

 

この穆王が中国全土を巡幸するために8頭の馬に馬車をひかせていました。

この馬は穆王八駿と言われ、光よりも速いと言われていました。

 

この馬車で仙人たちが住む崑崙山にも立ち寄ったとされています。

インドにも行ったとされています。

 

インドでは釈迦に会いました。釈迦から仏教の教えを教示されます。

 

釈迦が生まれたのは今から2562年前(平成18年を基準として)です。

紀元前551年です。ハイデラバードという地で釈迦の誕生祭が行われます。

世界で最も信頼できる釈迦生誕の記録と言われています。

 

何か変ですよね。計算が合いません。釈迦が生まれたのが紀元前551年、穆王は紀元前900年代。釈迦は400歳を超えています。

 

ま~、良いでしょう。中国の古代記録はこんなものなんでしょう。

中国の皆さん、ごめんなさい。

 

あっ、菊滋童伝説でしたね。思わぬところで時間を浪費してしまいました。

 

菊滋童は穆王に寵愛された子供です。

ある日、些細な事で穆王から罰を受けます。罰は遠い僻地へ追放です。

島流しですね。狼や虎が住む危険な土地でした。

 

穆王は後に菊児童を哀れに思い、釈迦から教授された、

教えの8句の内二句を授けます。

それを唱えれば危険な獣は寄ってこないありがたいお経でした。

 

児童は忘れない様にと、門の脇で咲いている菊の花にそのお経を書き留めました。

そのお経を毎日唱えたおかげで怖い獣は滋童に寄り付きませんでした。

 

しかし、お経を書いた菊の花に露が溜まり、川に落ちていきました。

川は霊薬の水となり。それを飲んだ村人は病気にもならず、

健康を保ち長寿となります。

 

滋童も川の水を飲んでいたおかげで、何という事でしょう童の姿のままで仙人となりました。

 

魏の文帝の時代にその川の事を知り、確かめるために使いがやってきました。

菊が咲き誇る川にくると、滋童が現れ、お経の事を話し、文帝に伝える様にと使いに託します。

 

滋童は文帝に、菊の花を盃に添えて飲むと長寿になる術を伝授します。

滋童は文帝に使える事となり、名を彭祖と名乗ります。

 

文帝は大変喜び菊の宴を催すことになり、長寿を祝うこととなります。

 

魏の文帝とは魏、蜀、呉の3つの国が争う三国時代の人物で、

曹操の長子で魏の初代皇帝となります。諸葛孔明と死闘を演じますね。

 

重陽の宴です。

この事で重陽節句が始まりましたと伝えられてます。

滋童の不老長寿の故事に倣って庶民も菊酒を飲み、災いを祓い、

長寿を願うようになっていきます。